廿軒家神明社 歳時記

廿家神明社の「年中祭事」 および 「行事」
本ページは、機能的に未完成です。m(_ _)m

  日 程 祭事名・行事名 備 考
祭 事 毎年 1月1日 歳旦祭・厄除祭(新年祭」 ~5日 9:00~15:00
   社務所当番在席
行 事 毎年 1月第2日曜日 左義長(どんど祭り)・鏡開き ~11:00終了
その他 毎年 3月下旬~4月上旬 お花見会 昨年は、3月下旬でした
祭 事 毎年 7月最後の日曜日 夏祭り・龍神祭(天王祭)  
祭 事 毎年 10月中旬の日曜日 秋祭り  
行 事 毎年 11月第2日曜日 七五三  
その他 毎年 11月 下旬 頃 大麻 伊勢神宮・神明社・
   守山龍神社 の申込
配布は、12月初~中旬
祭 事 毎年 12月29日 煤払い  
行 事 毎年 12月31日 23時~ 大晦日の焚火 1月1日 朝まで

廿軒家神明社について

 廿軒家神明社は、歴代氏子総代皆様の真摯なご協力と氏子各位の理解によりまして、町内皆様の関心も深まり、例祭も年毎に盛大となり、参拝する人々も年々増加してきました。
昭和55年2月に当時の氏子総代 浅井撰一氏が「廿軒家神明社の栞」「廿軒家神明社催事に於ける諸準備の控え」並びに先輩諸氏の歳時記改訂版を参考にして、以下のとおり拙文をしたためました。    令和元年作成 「廿軒家神明社 歳時記」より

はじめに

 廿軒家神明社は、徳川家康公の九男徳川義直の附家老犬山城主注)成瀬隼人正正成が当地区に 支配下の武家屋敷20軒を建築させ 地域の開発と管理に当たらせたことに由来する。
当時の武家等は元和元年(1615年)所領山林内の一部に氏神様として当神明社を創建し常に尊崇信仰したとの言い伝えである。
                   令和元年作成 「廿軒家神明社 歳時記」より
注)成瀬隼人正を判りやすくするため、犬山城主と加わっていますが、犬山城主となるのは元和三年(1617)ですので、犬山城主となる前に当地域の開発と管理に当たらせたことになります。(新HP担当者加筆)

地域「廿軒家」、「二軒家」の始まり

 名古屋城は、徳川家康のための城であり、危機管理能力に優れた家康は、関東移封に置ける防衛対策、江戸城からの脱出対策を講じていた。 名古屋城は当初 名古屋城東の守りは矢田川までを計画していた。 名古屋城東の守りの拠点は大曾根であり、背後に矢田川を控え、大曾根の後方支援や、万一の際の名古屋城からの脱出に備え、家康の老中職にあった成瀬正成は、家康の意を受けて、配下の根来組の与力2騎(一騎は、与力一人に同心10人)を配置し小幡村内で行うこととして、名古屋城完成に合わせ、1614年夏頃までに、20軒の屋敷を建てた。  しかしながら、名古屋城を西国防衛の前線基地として使用することなく、豊臣家が滅び、予定していた根来組の配置は不要となり、1615年、小幡村の水野街 道 沿いの森林整備と、周辺の警備を行うため、組頭外10名の家臣を御林同心として、廿軒家の地に9名、二軒家の地 に 2名配した。 これらの同心は、相続により連綿として、この地に住み、明治時代を迎えました。 又、廿軒家の林の中に、氏神様として、皇大神宮の分霊を祀る神明社を創建しました。
                   令和元年作成 「廿軒家神明社 歳時記」より

※ 上記、「廿軒家神明社 歳時記」の引用で有ります。
  これで納得される方は、それで良いでしょう。
  少々疑問を持たれる方は、別ページ(リンク先をクリックして)の「考察の基本方針 & 考 察」
  を御覧頂き、御自分でも御考察下さい。

  但し、未完成の為 現在非公開となっています。


1 近隣の神社など

                  令和元年作成 「廿軒家神明社 歳時記」より

 

2 廿軒家神明社の生立ち